<結婚>

 すっかり春らしくなったその年の4月初旬。私たちは、かねてから申し込んでいた市営住宅に入れることになって、その準備に追われていた。大した荷物がある訳でもないが、それでも引っ越しは大仕事だった。

 KEIKOはこまめに働いていたが、気持ちは少し落ち込んでいた。彼女の父親が仕事先で怪我をして倒れ、母親から帰ってくるようにいわれていたからだ。幸い怪我は一ケ月程の入院で全快できるようだった。
 すでに私との同棲のことは連絡してあったが、私は父親の心の内が気掛かりだった。あまり良い感情は持っていないようなのは感じていた。

 KEIKOは先妻の子だった。彼女の父親は鳶の頭領をしていた。仕事先はダムの建設にかかわるものが多く、家に居ることは少なかった。彼女が4歳の時に実母は急病で逝ったが、父親はその臨終にも立ち会えなかった。
 その後もKEIKOは継母と二人寂しい思いをしていることが多かったらしく、そんな事情の娘だけに父親の結婚への思いはことさらに深いものがあるようだった。

 引っ越しが一段落したところで、KEIKOが言った。
「一度横浜へ行ってくる」
「一緒に行こうか」
「ううん、少し待って・・・」
 彼女なりの考えがあるようだった。私はそれに従うことにした。

 KEIKOが横浜に戻って4日程が経っていた。
 私は悶々とした日々を送っていた。何度も電話をかけようと受話器を取っては止めていた。彼女からも止められていたからだ。不安だけが脳裏をよぎった。

 5日目の夜だった。そんな私の気持ちを察したかのように電話のベルが鳴った。
「元気? 私は元気!」
 KEIKOの明るい声が飛び込んできた。
「父が会いたいって。ねえ、聞いてる?」
 彼女の声が弾んでいた。
「ああ、聞こえてるよ・・・」
 私はそれだけ言うと、後は言葉が出なかった。
「ねえ、お願い。迎えに来て!いつ来る?」
「ああ・・・今度の土曜には行くから・・・それよりお父さんの様子はどう?」
「大丈夫!わかってくれたから、大丈夫!・・・じゃ、待ってるから!」
 それだけ言うと、あっけなく電話は切れた。

 私はしばらく電話の受話器を握ったまま呆然としていた。一度に緊張がほぐれ、全身の力が抜けた感じだった。安堵感と嬉しさがゆっくりと偲び寄ってきた。だが、これからの事を思うと眠れなかった。気がつくと東の空は白み始めていた。

 その週末、私はKEIKOの実家を訪ねた。事情を知った私の父親も、挨拶したいと同行していた。

 KEIKOの父親は、この日のために病院から一時帰宅していた。居間の正面に大きな火鉢を前に座っていた。がっしりとした身体に日焼けした強面の顔が印象的だった。私の脳裏を一瞬、時代劇の大親分の姿がよぎった。

 挨拶が済んで二人の結婚の話になった。KEIKOの父親は無言だった。ほとんどKEIKOと継母が喋っていた。私は自分の彼女への気持ちと生活の現況を率直に話した。

 しばらくの間があって父親が口を開いた。
「よろしく頼みます。」
 それだけだった。それだけに私の胸には重くずしりと響いた。
「こちらこそよろしくお願い致します。」
 私と私の父が応えた。張り詰めていた部屋に軟らかい空気が漂った。

「Kちゃん、おめでとう!」
「兄さん。幸せにしたってや、頼んます!」
 隣の部屋に居た住込みの若い衆たちが声をかけてきた。中には半袖のシャツから入れ墨が覗く腕で握手をしてくる者もいた。一様に強面だったが言葉は丁寧だった。
「うん、ありがと〜!」
 私の緊張をほぐすようにKEIKOがはしゃいだ仕草で応えていた。
「さあさあ、食事にしましょ!」
 KEIKOの母親が、用意してあった寿司をテーブルに並べ私たち親子を誘った。

 食事が始まったが父親は無言のままだった。時折KEIKOが話し掛けると、それでも和らいだ表情で笑みを見せた。私は何も言葉が掛けられなかった。愛想笑いを返しながら寿司をほうばるのが精一杯だった。

 食事が終ってしばらくして、KEIKOの父親は病院へ戻っていった。
私たちは、出来るだけ早く結婚式をあげることを約束して大阪へ戻った。

つづく

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