<別れ>

 KEIKOが救急車で運ばれて半日、その日の夕刻には彼女は自宅の和室の布団に寝かされていた。周囲の白と黒の幕と枕元の供台の線香が細い煙りを立ち昇らせていなければ、そのようすは普通の根姿だった。内出血によるものか顔色は赤みを帯びて、すでに命の止まっていることが嘘のようなやすらぎに満ちていた

 通夜の客への挨拶と葬儀の相談で私は振り回されていた。ゆっくりKEIKOの亡骸と対峙出来たのは深夜になってからだった。

「ふう〜・・・・」
 思いの高まりをこらえるように私は大きく息を吐いた。

 そこへ彼女の母が姿をみせた。母は私の前に座ると両手をついて言った。
「昭ちゃん、ありがとう。駆け足のような人生だったけど、あの子はとても幸せだったよ。本当にありがとう。」
 母はそう言うと、手にしたハンカチで流れる涙をぬぐいながら深く頭を下げた。
「お母さん、ごめんなさい・・・。私がもっと気をつけていれば・・・」
 私にはそれが精一杯の詫びの言葉だった。

 私の瞼からも熱いものがどっと流れて落ちた。

 しばらくして母が部屋を出て行くと、私はひとりKEIKOの枕元に座り込んでいた。周りの家人も気を使ってか、誰も声を掛けずにいた。

 ほんのり赤みの差した妻の寝顔は、今にも起きだしそうな自然な感じだったが、そっと触れたその肌は冷たく硬直していた。
 私はKEIKOの寝顔をじっと見つめていた。夢を見ているような感じであった。やがて、彼女との出会いからの長い記憶が、走馬灯のようによみがえって駆け抜けていった。
 私は何かを言おうとしたが、言葉にはならなかった。代わりに瞼から熱いものがどっと流れて落ちた。それが白い布団の上に花びらのようなシミを残して散った。
 後から後から大きなうねりが私の胸を突き上げていた。嗚咽をこらえようと、その肩が大きくふるえていた。

「ふう〜・・・」
 しばらくして少し落ち着きを取り戻した私は、一つ大きなため息をついた。そして、周りにひと気が無いのを確かめると、KEIKOの冷たい唇にそっとくちづけをした。私からの詫びと感謝と別れの言葉だった。

 無言の私たちを、ほのかな香のかほりと深夜の静寂が包んでいた。

つづく

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