<仙台>

 運命はその教授との出合いで決まっていたのかも知れなかった。幸い東北大学の受験日が京都とずれていたので、彼は迷わず仙台への切符を買った。そして京都は残念な結果となったが無事に東北大学に合格したのだった。

 彼はとりあえず仙台市内にある大学の寮に入ることになった。サッカーの試合を控えた弟に留守を頼むと、叔父に借りたミニバンに荷物を満載して私たちは仙台に向かった。

 早朝の東北高速道路は、宇都宮を過ぎると貸し切りのようにガラガラだった。私はひたすら北へ向かってアクセルを踏んだ。

 東北大学の寮は明善寮といった。4階建ての建物が整然と並び、緑に囲まれた雰囲気はちょっとした団地のような感じだった。指定された建物の横に車を付けると、三人はまず中に入ってみることにした。
 薄暗い階段を与えられた部屋のある4階まで上った。静まり返った人気のない廊下を進んでいくと、片側にドアが並んでおり一方に共同の台所や歓談のスペース、トイレなどが備わっていた。というと素晴らしい環境のようだが、その中身はひどい有様だった。

 台所はいつ洗ったのか知れない汚れた用具類に、食財の包装紙や空き袋が詰め込まれており、流し台や床はゴミの山が占領していた。トイレも雑誌や新聞紙、トイレットペーパーが散乱し、まさに足の踏み場も無い有様だった。
 私たちはしばらく顔を見合わせていたが、そのうちに大きな声で笑いあった。笑うしか無いというのが本音だった。

 部屋は一人用になっていた。左手に作り付けのベッド、窓際に机が備えられていた。ビニールの包装がしたままの真新しいベッドのマットが、新人を迎える準備がされていることを感じさせていた。ドアにカギは無かった。常に解放されていることがこの寮のルールのようだった。

 寮の部屋を確認すると、荷物を運ぶ前に昼食と買い物を済ませるために市内に出た。仙台はやっぱり大きな街だった。道路は広く整然としていた。青葉通りや一番町に代表される中心街の賑わいは、静岡市など足下にも及ばない感じだった。

 ゆっくり見物する時間は無いので、商店街でシーツや洗剤などの買い物と遅い昼食を済ませると、私たちはふたたび寮に戻った。

 三人がフウフウ言いながら荷物を4階まで運びはじめると、どこからか二人の先輩らしき若者が現われて、何もいわずに手伝いはじめた。私が礼をいうとはにかんだ笑顔を見せただけで、黙々と荷物を運んでくれた。4階までの昇り降りにいささか閉口していた私たちには、それは何よりありがたかった。
 おおむね運び終わって改めてお礼をしようとしたが、二人は軽く会釈をするとすぐに姿を消した。

 荷ほどきをしていると寮長という若者が現われた。寮の自治はすべて学生自身にまかされているようだった。簡単なルールの説明が終わるとすぐに姿を消した。後には何事も無かったような静寂だけが残った。

つづく

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