<仙台>

 昭和62年、長男は隣接市の県立高校へ進学していた。相変わらず吹奏楽に夢中だったし、次男は地元の中学でサッカーに汗をながしていた。

 これといった問題もないままに、いよいよ長男の大学受験が迫っていた。成績もまずまずで、どこを受験するのか親戚中でも寄るとその話題になっていた。うわさはうわさを呼び、いつしか東大という話まで流れていた。大学になど縁の無かった私たち夫婦には、まさかという気持ともしやという気持が入り混じって複雑な心境だった。

 いよいよ受験校の選定の時が来ていた。第一志望はなんと京大だった。小学生の頃からアメリカのNASAで働きたいといっていた彼だが、その分野では国内では京大の物理学科が最高だということのようだった。
 第二志望は筑波だった。どちらも私たち夫婦にとっては雲を掴むような話だった。なんのアドバイスも出来ない二人は、すべては本人の意にまかせようと腹を決めていた。実のところは経験の無い私たちにはそれしかすべがなかった。

 予備試験の成績はまずまずだった。ひょっとしたらひょっとするかも・・・トンビが鷹を産むかも。いつしか私たち夫婦の胸中にも、もしやという思いが広がっていった。

「どんな大学か見に行かない?」
 ある日、KEIKOが突然切り出した。
「ちょうど大阪の親戚に行きたい用事もあるし、ねえ、行ってみようよ。」
 彼女は強引だった。

「もしかして、もしかすると・・・ふふ。」
「バカだな、まだなんとも判らないんだぜ。」
 次の土曜日、京都大学の学生食堂でカレーライスを食べる私たちの姿があった。
「ここに来た事は内緒だぞ。」
「わかってるわよ。でも、本当にここに来れるといいのにね。」
 周りの学生達のようすや窓から見える構内の景観に目をやりながら、私たちはまんざらでもない表情でこの時間を楽しんでいた。まさに親馬鹿を絵にしたような姿だった。

 翌日家に戻ると、KEIKOは早速長男に京都大学を見て来たことを告げていた。約束なんて無かったようだった。
「バッカじゃない!」
 彼があきれた顔で笑って応えた。

 最後の決定で彼は迷っていた。自信が無い訳ではなかったが、試験は時の運も大きく左右する。その年の試験問題次第で平均点も大きく変化するという。

 そして運命は意外な結果をもたらしたのだった。

つづく

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