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<仙台> 昭和62年、長男は隣接市の県立高校へ進学していた。相変わらず吹奏楽に夢中だったし、次男は地元の中学でサッカーに汗をながしていた。 これといった問題もないままに、いよいよ長男の大学受験が迫っていた。成績もまずまずで、どこを受験するのか親戚中でも寄るとその話題になっていた。うわさはうわさを呼び、いつしか東大という話まで流れていた。大学になど縁の無かった私たち夫婦には、まさかという気持ともしやという気持が入り混じって複雑な心境だった。 いよいよ受験校の選定の時が来ていた。第一志望はなんと京大だった。小学生の頃からアメリカのNASAで働きたいといっていた彼だが、その分野では国内では京大の物理学科が最高だということのようだった。 予備試験の成績はまずまずだった。ひょっとしたらひょっとするかも・・・トンビが鷹を産むかも。いつしか私たち夫婦の胸中にも、もしやという思いが広がっていった。
「どんな大学か見に行かない?」 |
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「もしかして、もしかすると・・・ふふ。」 そして運命は意外な結果をもたらしたのだった。 |