<インドネシア>

 インドネシアからの客を迎えての1週間は大変な騒ぎだった。

 我が家に入ると、まずミアリ−が聞いて来た。
「なぜ、メイドがいないんだ?」
 彼女の家には3人のメイドがいた。
「日本ではメイドはお金がかかって大変。総理大臣でもいないよ。」
 私は思いつくままの説明をした。言ってから後悔した。
「総理大臣のところにはメイドがいるよなあ・・・?」
 ミアリーは納得したようだったが、私にはしばらく疑問が残った。

 彼女たちは食事は何でも食べた。寿司もステーキも好きだった。イスラム教徒の叔母だけが豚肉を気にしていたが、豚肉でもビーフだというと嬉しそうに食べていた。ミアリーはお好み焼きがえらく気に入ったようだった。さかんにKEIKOに作り方を聞いていた。

 観光には日本平や御前崎灯台などを巡ったが、一番の興味は富士山だった。だが夏の雪の無い富士の姿には違う違う!を連発していた。カレンダーの写真で見た雪をかぶった富士山の印象が強かったようだ。私の説明でなんとか納得してもらった。

 一番の問題はやはり言葉だった。辞書を片手の身ぶりに手ぶりはもちろん、英語やローマ字や果ては筆記による会話まで試みた。二日目からはKEIKOの友人に通訳を願って事なきを得たのだった。

「モウ、ネマスカ?」
「オーイエス!」
 ワワン達が帰った後も、私たち夫婦の日本語は外国人の会話のようになり、皆でしばらく笑い転げていた。

 ワワンたちが東京に帰って2日程が過ぎた。インドネシアに戻る日だった。
 ほっとしていたところに突然東京税関から電話が入った。どうやらワワンにプレゼントした剣道の竹刀の持ち込みが問題になったようだった。すっかり気に入ったワワンが、持って機内に入りたいと言って聞かないらしく、本当にプレゼントなのか確認の電話だった。

 私の証言でなんとか事なきを得て帰国して行ったが、最後まで大騒ぎの旅人たちだった。

 その年の年末にはジムハルト夫妻を家に招いた。日本に来て2年になるが、来年には帰国することになっていた。最後に日本の家庭のお正月を楽しんでいただこうと思ったのだ。

 ジムハルトはなんとか日本語が話せたので楽だったが、敬けんなイスラム教徒のためその熱心な礼拝には驚かされた。毎朝入浴で身を清めるとメッカの方角に向かって小さな絨毯を敷き、額を床にすりつけるような姿勢でのお祈りが続いた。それが一日何回も繰返されるのだ。およそ信仰心の希薄な私たちには、珍しくもあったが少し気の毒にも思えるほどだった。

 ジムハルトは日本食が好きだった。特にスキヤキが大好きだった。おいしい!おいしい!を連発して食べていた。母国では飲まないという酒も結構いけた。
 妻のマリアンは寿司が好きだった。回転寿司が特にお気に入りのようで、KEIKOに今度はいつ行くのか聞くほどだった。

 私たち一家は、元旦の初日の出と神社への初詣でが恒例になっていたので、ジムたちを誘ってみた。案外気楽に行きたいと言った。初日の出はインドネシアでも見るらしかった。
 神社では珍しそうに参拝の人達の様子を眺めていたり、おみくじに興味を示していたが、さすがに神が違うと言って拝礼することはしなかった。

 そして3月、ジムハルト夫妻は丁寧な電話を最後に帰国していった。

つづく

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