<旅>

 昭和57年8月、私たち夫婦の初めての海外旅行が実現した。
 ある商店街の福引で当てたフィリピン三泊五日のペア招待旅行だったのだが、実際は航空チケット分だけで、旅費の半分以上は自己負担だった。まあ、それでも新婚旅行の第2幕のつもりで参加することにした。

 ツアーは他の参加者40人程と一緒だった。中年のご夫婦や若者グループのにぎやかな仲間といっしょに機内へ。ユナイテッド航空の愛想の無いおばさんスチュワーデスに少々呆れながらマニラ空港に到着。現地の日本人ガイドに案内されてバスに乗り込み、夕日が美しいという海岸道路沿いのホテルへ着いたのは深夜だった。

 翌日は市内観光。バスにつきまとう新聞売りの少年や小銭をせがむ子供たちを横目に、整備された公園や古城跡、外人墓地などを巡る。
 行く先々でお巡り(警官)が警官のバッジや帽子を売りに来る。中には自分の制服や腰の拳銃まで買わないかと来たのには、私達も驚いた。

 夕刻、高級リゾートのpuertoazulに移動。入口はガードマンに守られていて、許可の無い者は入れないというプライベート・リゾートエリア。
 ビーチのテラスで美しい夕日を眺めながら飲むココナッツジュースが、乾いた喉と少し疲れた身体に心地良く、気分は自然にハイになる。人なつっこい笑顔で「シャチョウサン」を連呼するウエイトレスのもてなしに、助平心がくすぐられる。そのうちに日本の住所を教えてとせがまれて、慌てて逃げ出す始末だった。

 夕食で隣合わせた一人旅らしい日本人の男性S氏が声をかけて来た。人なつっこい笑顔と気取らない話し振りに、私たちもすぐに打ち解けた。貴金属の買い付けで良くこちらに来るらしい。見れば若い現地の女性を連れている。そういう方面のルートにも詳しいようだった。

「今度は一人で来なさいよ。紹介するから・・・」
 私の耳元でS氏が薄笑いをしながら囁いた。

 食事が一段落するころS氏が持ちかけてきた、
「明日マニラにもどるのなら、カジノへ行ってみないか?」
 イメルダ大統領夫人(当時)が経営するというカジノに誘われたのだ。

「ねえ、行ってみようよ、ねえ!」
 KEIKOはすぐに興味を示した。私は少し不安を感じたが、せっかくのチャンスと思いオーケーした。S氏から明日の夜、自分の泊まるホテルに来るようにメモを渡された。私たちが泊まるホテルのすぐ近くだった。

「何かあっても責任は持てませんよ」
 そっけないガイドの言葉を後に、ツアーの夕食をキャンセルして500メートルほど離れたS氏の泊まるホテルに向かった。

 街灯の消えた真っ暗な道を歩いていると、急にKEIKOがすがるように私の腕を取ってきた。目が何かを合図している。何事かと私は周囲に目を凝らした。闇に慣れた目に写ったのは、暗い道路脇にズラッと並んで座る人の列だった。物めずらしそうな感じで二人に注視している様子だ。
 まさかとは思うが初めての異国のこと。この暗がりで後ろからポカリとやられても不思議ではない雰囲気。私の背中を一瞬寒いものが走った。

 少し大袈裟に明るく何気ない風をよそおって、なんとか目的のホテルへ着いた。私たちの泊まっている観光ホテルと違って、派手な装飾も無く、薄汚れた玄関と狭いロビーのカウンターに、手持ちぶさたな感じの中年女性が一人座っていた。フロアーのソファーに陣取った5人程の制服姿のガードマンが、拳銃をこれ見よがしに見せながら、何者だ?という眼差しで私たち二人を舐めるように見つめていた。

[ミスターS、プリーズ]
 平静をよそおって私がフロントの中年女性に告げた。それですべてを察したようだった。彼女は低い声である部屋に電話を入れると、愛想の無い感じでその部屋へ行けというようにルームナンバーを告げた。

 狭いエレベーターで4階に上り教えられた部屋をノックすると、トランクス一枚のs氏が例の人なつっこい笑顔で現れた。
 着替えるから中で待てというので私たちが部屋に入ると、雑誌や缶ビール、インスタントラーメンなどが雑然と散らばっていて、独特の臭いが鼻を突いた。

 奥のダブルベッドには昨日の若い女性が無表情な顔で横たわっていた。私たちの姿を見ると、けだるそうに寝返りを打ってこちらに背中を向けた。どうやら裸のようだった。目のやり場に困惑しながら、私たちはここに来たことを少し後悔し始めていた。

つづく

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