<旅>

 私とKEIKOの共通の楽しみに旅行があった。結婚前からよく二人で出かけていたが、いつも行きあたりばったりの無計画な旅が多かった。

 思いつくとすぐに出かけることが多く、宿はモーテル(ラブ・ホテル)が多かった。探す苦労も少なく、何より安く泊れるのが魅力だった。そのうちに「ここはどんなかな?」などというのも、旅の楽しみのひとつになっていた。いっそモーテルのガイドブックでもつくろうか、なんて冗談も飛び出すほどだった。

 ある週末、急に飛騨高山へ出かけることになった。
 出発が夜だったために郡上八幡辺りで深夜となり、真っ暗な闇の中にポツンと見つけた小さなモーテルの灯に、やれやれとすぐに飛び込んだ。飾り気の無い部屋にベッドがあるだけの何の変哲も無いモーテルだったが、眠いだけの二人はすぐに熟睡していた。

 朝方、妙に騒々しい感じで目が醒めて、みると時刻は10時近くになっていた。
 あわてて支払いを済ませて表に出ると、なんとモーテルの前は大きなドライブインの駐車場だった。折しも入ろうとする数台の観光バスとはち合わせ。満席の乗客の50×2程の視線をもろに浴びてしまった。中には手をふるおせっかいな人もいて、いささか照れくさい思いをしたのだった。

 旅先ではKEIKOの行動力とツキが大いに発揮された。

 高山では、ふらりと寄った喫茶店の女将さんの紹介で「お母さんの宿」と呼ばれる評判の良い民宿に泊まれることになった。後で聞いたのだが、なかなか予約が取れない程の人気の宿だった。

 京都の嵐山へ出かけた時の、昼食に寄った蕎麦屋のご主人に紹介していただいた宿も良かった。
 建物は古かったが瀟洒な造りの平家とよく手の入った庭が素晴らしかった。さる商家の隠居所跡ということだったが、客は二組だけだった。元祇園の芸姑さんだったという女将の物腰や言葉の端はしにも、いい知れぬ古都の風情を堪能したものだった。

 この宿も翌年には無くなって、跡にはビートたけしのカレー屋さんが出来ていた。

 KEIKOは商店街などの大売り出しの招待旅行に良く当った。北海道もそうだったしフィリピン旅行もそうだった。奄美の旅などは友人に譲ったりしていた。貧乏くじは彼女の妹だった。私たちが二人で出かける度に、子供たちの世話と留守番をさせられていた。

 次回はフイリピンの旅の思い出を少々いたしましょうか。

つづく

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