<旅>

 新しい家での生活にも慣れて、私たち一家にもやっと落ち着いた生活がもどっていた。子供たちは新しい学校にもすぐに慣れて、学校が終るとサッカー少年団や剣道の稽古と、忙しい毎日を送っていた。特にサッカー少年団の活動は活発で、日曜日はほとんど試合が組まれていて休む暇も無い程だった。

 KEIKOは、そんな子供たちの送り迎えや来客の相手、家中の掃除から庭の芝生や木々の手入れ、近所の付合いなど、これまでにない用事が増えて忙しく走り回っていた。だが、それは嬉しい忙しさでもあった。彼女の表情はイキイキと輝いていた。

 そんな家族の姿をみながら、私は言いようのない幸福感を味わっていた。仕事も順調だった。その年の暮れにはアシスタントも二人増えて、家はいつも活気が溢れていた。

 やがて色付いたケヤキの葉が庭の芝生にカラフルな模様を描き始め、新しい家での初めての冬が静かに訪れていた。

<インドネシア>

 昭和56年。長男は6年生。次男は4年生になっていた。

 ある日、KEIKOが少し紅潮した顔で私に一枚のパンフレットを差し出した。
「ねえ、子供たちにどうかしら。良いと思わない?」
 それは、国際青少年協会が募集する小学生海外派遣の案内だった。行く先はインドネシア。8日間のホームスティという内容だった。

 日頃サッカー漬けの子供たちの毎日に疑問を感じ始めていた私は、すぐに乗り気になった。
「あとは、子供たちが何というか・・・」
 KEIKOは夕食の席で、早速子供たちに切り出した。
「いいよ!」
 兄はすぐに興味を示したが、弟は無言だった。
「でも、全国から応募があるからまだ決定じゃないのよ。試験や合宿もあるし、大丈夫?」
 言い出しておきながら、あっさりOKされて逆にKEIKOがとまどっていた。
 次男は否という返事だった。
「じゃ、お兄ちゃんだけ申込んでみるからね。良いわね。」
 彼女の声が弾んでいた。

 KEIKOは思い出していた。兄弟二人だけで遠出させたのは、兄が5歳、弟が3歳の頃だった。実家の横浜に二人だけで行かせたのだ。
 新幹線に乗った兄は、責任感からか緊張していて落ち着かず、弟は兄の洋服のすそをにぎったまま身じろぎもしなかったらしい。
無事に新横浜に着いて祖母の顔を見た途端に、二人は大泣きしたという話だった。

 その年の夏休み。東京の代々木にある東京オリンピックの選手村跡で一次試験が行われた。さらに一次合格者による10日間程の二次合宿が行われ、最後に7人の小学生のグループが結成された。

 一人の指導員に引率されての初めての海外渡航だったが、親の不安をよそに兄は飄々として出かけていった。

つづく

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