<帰郷> 

 私たちの新しい生活は、実家の二階の6畳2部屋で始まった。いつのまにか増えた家具類に挟まれての新しいスタートだった。

 私はしばらく兄弟の仕事を手伝うことになった。汗だくになりながらの外での仕事は、これまで力仕事などしてこなかった私にはかなりキツイ毎日だったが、それはそれで楽しかった。日増しに浅黒く日焼けした男っぽい私が出来ていった。

  KEIKOにも思いがけない日々が続いていた。これまで家族だけの気ままな生活をしてきたので、いつも一緒の姑や頻繁に出入りする私の兄弟や姉妹たちとのやりとりに戸惑っていた。いつもの自然体の彼女はそこには居なかった。なんとか良い嫁を演じようと焦っていた。

 一方、姑もはじめての嫁との同居にとまどっていた。気を使うあまりにいつか客人扱いになっていた。
 長い年月を経てすべてが完璧に段取りされている姑の生活のペースに、彼女の入り込む隙間は見つからなかった。それらが積み重なって、お互いの気持ちの中に小さなずれが生じはじめていた。

 家に居場所の無いKEIKOは、子供たちと外に出かけることが多くなっていった。あても無く狭い街中を散策してみたり、公園で子供たちを遊ばせながら夕方までの時間を潰したりしていた。それが逆に、姑には身勝手な嫁と写ったのかも知れなかった。

 やがて、KEIKOは私に不満をぶつけるようになっていた。一方、姑も私に愚痴を言うようになった。
 私には意外だった。同居するまでの二人の仲むつまじいやりとりに、世間で言う嫁と姑の問題は起きないだろうと思っていた。あのやさしい母と明るい妻が、なぜ?という気持ちだった。だが、私にはどちらの味方も出来なかった。

 私は、事が大きくならない内に別居することにした。母にはすまないと思いつつも、ふたたび家族だけの生活を始めることにした。わずか半年足らずの同居だった。

 その年も押し詰まった12月の中旬、私たちは市内のアパートに移った。二軒続きの平家が6棟ほど並んだ、この辺りによくあるスタイルのアパートだった。
 隣り近所には同じ年頃の子供を持つ夫婦が多くおり、KEIKOはすぐに以前の快活さを取り戻していった。

 早速近くの幼稚園に長男を入園させた。次男も近所の子供達と家の周りの空き地で泥んこになって遊んでいた。
 KEIKOは折にふれ実家に顔を出した。クリスマスには父や母も訪れて、孫たちの元気な姿に目を細めていた。
私たちにやっと安堵の日々が戻ってきた。それだけでも有り難かった。

 こうして嵐のような48年が終ろうとしていた。

つづく

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