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<帰郷> 昭和45年5月。私は独立をすることにした。以前からバイトとしてやっていたデザインが主な仕事だった。 知人のビルの4坪程の一室を借り、机が二つだけの小さな事務所だったが、それでも念願の独立ということで気持ちは晴やかだった。懇意にしていた広告代理店と印刷会社の仕事がメインだったが、まずまず順調なスタートだった。 KEIKOもその後目立った体調の異常も無く、子供も生まれた直後の小ささがウソのようにすくすくと育っていた。這えば立て立てば歩めで、時にわんぱく過ぎて彼女を手こずらせるほどの元気さだった。 私の帰宅はいつも深夜になったが、彼女は愚痴も言わず家事と育児にがんばっていた。そして46年7月、彼女のお腹には次の命が宿っていた。 二才になったばかりの長男は、同じ年齢の子供のいる従姉妹夫婦の好意に甘えた。
私は事務所と病院を往復する毎日で、家には掃除と着替え、洗濯に帰るだけだった。 翌47年2月、無事に次男が生まれた。3080グラムの綺麗な赤子だった。母子ともに順調な経過を経て、今回は二週間程で退院できた。 KEIKOはまず、約三ヶ月振りに顔を合わせた長男を、いかにも愛おしそうに抱き締めた。長男の方は、しばらく恥ずかしそうに母親の顔を見つめていた。何故かすべてを読み取っているような態度だった。静かに嬉しそうに弟の顔を覗き込んでいた。それがかえっていじらしくKEIKOの泪を誘った。 |
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私は、二人の子供を得てさらに仕事に打ち込んだ。折からのマンションブームで、そのカタログやパンフレットの制作に追われ、仕事は順調だった。
半年後には若いスタッフも増えて、ひと回り広い部屋に移っていた。帰宅はいつも深夜、事務所に泊まることも多かった。 KEIKOは時にそんな私に不満をぶつけることもあったが、二人の子供の世話に奔走していた。長男は近くの保育園に通っていた。毎朝近所の子供達と連れ立って楽しそうに出かけていた。次男も大きな病気をすることもなく、元気な子供達の笑顔がなにより私たちの気持ちをやわらげてくれていた。 すべてが順調に思えた。だが、そんな幸せな日々も長くは続かなかった。大きな暗い影がすぐ近くまで偲び寄ってきていた。 |