<出産>

 10月20日午後6時。私は急な電話で病院に呼ばれた。

 まだ出産予定日には間があったが、陣痛が始まったということだった。すでにKEIKOは処置室に運ばれていた。

 駆けつけた私に担当の医師が言った。
「なんとか普通分娩出来るように務めますが、万一の場合帝王切開も考えられます。母体を守るためには、新生児の生命は保証出来ないかも知れません。承知しておいて下さい」
 医師はそう言うと、再び手術室に消えていった。

 なすすべのない時間が流れた。私は、駆けつけた叔母達とひたすら母子の無事を祈った。皆が無言だった。祈りをこめて手術中の赤い灯を見つめていた。

 午後9時55分。赤い灯が消えて、昂揚した表情の医師が部屋から出てきた。
「ご安心ください。母子ともに異常ありません!」
 自信に満ちた表情で告げた。ホッとした空気が廊下を満たした。それはすぐに歓喜の空気に変った。
「よかった、よかった!」
 誰いうともなく喜び合った。

 男の子だった。2600グラムに満たない小さな赤子だった。
「おつかれさん・・・」
「うん・・・」
 私の言葉にうなずきながらKEIKOが微笑んだ。汗と泪にまみれた疲れ切った表情だったが、元気だった。

「は〜い!お母さんですよ〜」
 そういいながら、産湯を浸かって身綺麗になった赤子を看護婦が差し出した。
「うそ!」
 一目見て思わずKEIKOがつぶやいた。赤子というにはずいぶん浅黒くシワシワな顔だった。
「まるで、おじいちゃんそっくり!」
 そう言いながらも、彼女は愛おしそうにわが子を抱き寄せた。

 KEIKOの産後の症状は軽く、他の産婦達と同じ大部屋に移されていた。
授乳の時間になるとワゴンに並べられた新生児が母親の元に運ばれてきた。その中の産衣にすっかり埋もれている、ひときわ小さな子が私たちの子だった。

 乳の出が良いようにと懸命に乳房を揉むKEIKOに看護婦が言った。
「残念だけど貴女の母乳は栄養分が足りないの。これを飲ませてね」
 そう言って看護婦は哺乳ビンを差し出した。もらい乳だった。

 授乳の度に彼女の表情に寂しさが走った。幾度か自分の乳をくわえさせては、母親の授乳を体感しようと試みてはいたが、やがてそれも諦めたようだった。

 私は仕事が終ると毎日病院に駆けつけた。日ごとに大きくなるわが子と、それを目を細めて抱きかかえるKEIKOの姿が愛しかった。彼女は私の顔を見ると、早く家に戻りたいと言って拗ねてみせた。

 KEIKOの入院はさらに1ヶ月に及んだ。後から入院してきた産婦が出産して退院して行くのを寂しげに見送っていた。わが子といっしょに居られることだけが救いだった。

「はい、もう退院出来ますよ。よく頑張りましたね」
 医師の言葉が、私たちには神様のお告げのように聞こえた。よほど嬉しかったのか、KEIKOは泪を見せていた。期せずしてまわりの妊婦や看護婦達から拍手が起こった。
「皆さん、ありがとう・・・」
 彼女は泣き笑いの複雑な表情でそれに応えていた。

つづく

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