<出産>

「コン!コン!」
 ドアをノックする音で二人は我に返った。
「失礼します・・・」
 きちっとした感じの白衣に身を包んだ、思ったより若い医師だった。

「担当の竹内といいます。奥様の症状ですが、ちょっと心配な状況ですので緊急入院の処置をとらせていただきました。」
「・・・・・」
「はい。妊娠中毒の症状はよくあることなのですが、奥様の場合腎臓に障害が出ておりまして、肺にむくみが回りますと生命にかかわります。まず安静と食事療法などの総合的な看護が必要な状況です。」

 彼の冷静さと自信に満ちた語り口は、有無を言わせない威厳さへ持っていた。
「心配ありません。完全看護ですので後はこちらに任せてください。」
「・・・・・」
 私たちは無言のままだった。状況はなんとか理解できたが言葉にはならなかった。
「では、そういうことで・・・」
 彼はそれだけ言うと、来た時の冷静さで部屋を出て行った。

「どうしよう・・・」
 やっとKEIKOが口を開いた。
「なんか、いやだなあ・・・この部屋でひとりなぼっちなの?」
「まあ、任せるしかないね・・・大丈夫だよ!」
 私が、まるで自分に納得させるように言った。
「毎日帰りに寄るから・・・辛抱しなよ。」

 そんなやり取りをしているところへ、急を聞いた叔母夫婦が駆けつけてきた。
「じゃ、着替えを取りに行ってくるから・・・」
 後を叔母達に託すと私はそそくさと病室を後にした。KEIKOを納得させる意味もあった。

 病院の外はすでに陽が西に傾き、燃えるような夕焼けが広がっていた。
私は駐車場に急いだ。長く伸びた自分の影を踏みしめながら、言い知れぬ不安と寂しさを感じていた。

 入院中のKEIKOは意外に元気そうだった。退屈しのぎにと広い病院内を歩き回り、気がついた看護婦が車椅子を引きながら捜しまわっていた。
「ご主人からもよく注意しておいてください!」
 その度に私が叱られる始末だった。

「だって、何もすること無いんだもん!」
「読書もダメ!テレビもダメ!塩ッ気の無い食事もうんざり!」
「あ〜あ、塩辛たべたいよ〜!」
 彼女が日頃の不満をぶちまけるように叫んだ。
「気持ちは判るけど辛抱しろよ。病人なんだから・・・」
 私には、慰めるだけが精一杯だった。

「ねえ、手を握って・・・」
 そう言うと彼女が私の手を握ってきた。私も軽く握り返した。暖かい彼女の手の温もりがなぜか懐かしい感じがした。
「ねえ、何かお話して・・・」
 彼女が甘えるように言った。
「話っていったって、何も無いよ」
「何でもいいの。とにかくお話して!」
 しかたなく私は、昨日のテレビドラマの顛末や会社での出来事など、とりとめのない話を続けた。

 KEIKOは私の手を握ったまましばらく黙って聞いていたが、やがて軽いいびきをかいて眠り始めた。私が掛布団を肩まで上げようとすると小さく寝返りを打った。その拍子に瞼に溜っていたのか、涙がひとすじ流れて落ちていった。
「・・・がんばれ・・・!」
 私は枕元のガーゼのハンカチでそれを拭き取りながら、胸の内でつぶやいていた。

つづく

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