<出産>

 夏の暑さにも陰りが見えはじめ、KEIKOも順調そうだった。元気に動きを増すお腹の子に話し掛けるようにつぶやいたり笑ったりしながら、小さな産衣を揃えてみたりして母親になるのを楽しんでいるようだった。

「少しむくみが出てるみたい・・・」
 9月の中旬だった。彼女の容態に少し異常が出始めていた。手足のむくみが顕著になって来ていた。妊娠中毒による症状だということだった。
「お医者さんが、背中を立てて座るような形で寝なさいって・・・」
 産婦にはよくある症状ということで、二人はたいして気にも止めずにいた。

 10月に入って最初の検診日だった。行きつけの医者の表情が変った。私にもすぐに来るように連絡が入った。慌てて駆け付けると、
「府立病院に連絡しておいたからすぐに行きなさい。いいね!」
「あのう・・・?」
「大丈夫!ちゃんとした設備のある病院だから心配ないからね!」
 医者に急かされて、よく判らないままに二人は住吉の府立病院に向かった。

 いくつもの病棟が立ち並ぶ大きな病院だった。広いホールは来館の人でごった返していた。
 私たちは大きなお腹を守るようにして、人ごみをかき分けながら産科の受付に向かった。医者からの紹介状を手渡すと、すでに承知の様子で中年の看護婦が笑顔で迎えてくれた。
 ホッとしたのもつかの間だった。別の看護婦が車椅子を押しながら近寄って来た。先の中年の看護婦と何か話し合っていたが、やがて二人に向かって言った。
「はい、このまま入院していただきますので、旦那さんは後で着替えを用意して来てくださいね」
 有無を言わせぬ語気でそう言うと、その看護婦はKEIKOを車椅子に座らせ、足早に病棟の奥に向かって進み出した。

 私たちはあっけに取られた表情で、なすがままに従うしかなかった。KEIKOの症状はそれほどに緊迫しているようだった。

 独特の乳の甘い香りがただよう産科病棟の廊下を進むと、大きなお腹をした入院中の女性達が、もの珍し気に私たちに眼差しを送ってきた。私は冷静さをよそおっていたが、女性ばかりの雰囲気に何処とない面映さを感じていた。

「かわいい〜!」
 ガラス越しに小さな乳児が並ぶ部屋の前で、KEIKOが車椅子の上から背伸びするように覗き込んで叫んだ。看護婦の表情が少しやわらいだように感じられたが、すぐに元の表情に戻った。
「静かに!」
 押し殺したような声で看護婦がたしなめた。

 私たちはベッドが二つ並んだ小さな病室に案内された。
 KEIKOは片方の真新しいシーツのベッドに入るよういわれた。そこへさらに二人の看護婦がやってくると、手早く窓に黒い布を掛け始めた。あっという間に部屋は闇に包まれた。天井の蛍光灯の電球も外され、明かりは枕元の小さなスタンドだけになった。

 けげんな顔の私たちに向かって年配の看護婦が告げた。
「いま、先生が来ますから・・・」
 それだけ言うと看護婦達は揃って部屋を出ていった。薄暗い部屋に残された私たちを言い知れぬ不安がよぎった。

 KEIKOの身体になにかとんでもないことが起きているようだった。

「ねえ、パパ、どうしよう・・・」
 彼女の不安そうな眼差しが、すがるように私を見上げていた。
「大丈夫だよ!」
 私にもそれ以外に応えようがなかった。

 私たちは無言のまま暗い部屋の中を見回していた。

つづく

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